M. C. :
こんにちは。最新のグラモフォン・ポッドキャストにようこそ。私は編集長のマーティン・カリングフォードです。嬉しいことに、今日はピアニストで教師のノー
マ・フィッシャーとご一緒しています。
N. F. : どうもありがとう。
M. C. : 少しバックグランドの説明をしましょうか。昨年の7月、グラモフォンはソネット・クラシックス・レーベルから出たノーマ・フィッシャーによるブラームスとスクリャービン作品の素晴らしい録音に読者の注意を向けました。その後、グラモフォン評者のミッシェル・アッセイが、年間クリティクス・チョイスでこのアルバムを自身のフェイヴァリット・ア
ルバムに選びました。アルバムは新リリースですが、1970年代にBBCが録音したものです。そして今回、リスト、シューマン、ドビュッシー、アンドレ・チャイコフスキーを収めた第2集が出たのです。私は批評家達が熱狂すると確信していますが(注1)、さて....アルバムについて話す前に、貴女自身に関するお話と、この録音が世に出るまでなぜこれほど長くかかったかを説明していただ
けませんか?
N. F. :
長い話です...悲しいことなのですが、80年代に、恐ろしい事に私の右手に問題があることに気づいたのです。何が起きたのかわかりませんでし
た。誰も私を助けることができませんでした。なんとかしようとして医者にも行きました。誰も何が起きているかわかりませんでした。実のところ、私は演奏が
でき
なくなっていたのです。痛みはないのですが、演奏をしようとする瞬間に手が固まってしまうのです。てっきり頭がおかしくなったかと本当に思いました。理解不能でした。というのも、それまで一人で弾いていても何も問題がなかったからです。技術的に全く、です。それが突
然.........。たしかカリフォルニアに滞在した時だと思うのですが、ピアノ雑誌の編集者で出版者のロバート・シルヴァーマンという人物に会う機会がありました。我々はその後親友となり......私は彼の雑誌が大好き
で......イングランドの私の家まで何冊も雑誌を送ってきてくれて、そのうちの何冊かを通読しました。その時に「Teaching hands, treating
hands」という記事に出会ったのです。それを読むと、まさに私の事でした。
M. C. : なるほど。
N. F. :
そこには私が抱えている問題が細部に至るまで書いてありました。私は咽び泣きました。信じられませんでした。記事はフランク・ウィルソン(注2)によって書かれ
ていました。
彼は神経科医で、この問題に興味を持っていました。私はアメリカにいるボブ・シルヴァーマンに電話し、「フランク・ウィルソンって誰なの?彼について知らなけれ
ばいけないの」。それまで、私は私に起こった問題を彼に話していませんでした。実際、誰にも一切話したことがありませんでした。何というか.......私のその時の感情を説明するのはとても
難しいのですが.......もし誰かにこれを話したら.....というのも私はまだ演奏していて、私はまだコンサートをこなす必要があったので........もし全てが
変わった時に、話す事で私の人生も変わってしまうのではないか、と恐れたのです。
N. F. :
でも彼は「心配ない。ゆっくりやりましょう。貴女がやりたい時に。1楽章に1年でもいい」。そんなに長く生きるつもりないわよ!(笑)彼は「じっく
り考えて。アイデアを熟成させて。貴女がどう感じるか見ましょう」って。で、私はそうすることにました。で、もちろん.......肉体的な問題がありま
した。私
自身........とてもその考えに惹かれていて.......彼は全く諦めないのですよ!
M. C. : そうですか(笑)
N. F. :
何度言ってきたか言えないほどよ!私は惹かれているのですが.......どうなるでしょうね。未来のことはわからないわ。それについて私に考える時間が
まだあれ
ば、と思います。わかりません。シューベルトの後期作品は大好きなのです。リストは無理です。実際、私のリストの録音とチャイコフスキーの録音にある機敏さと
アーティキュレーション........それはもう失われています。もちろん、別の要素はありますよ。どうなるかしらね!でも、ソネットが私の人生にやっ
てきた
こと、誰
が彼らを私のもとに送り込んできたのかわかりませんが、「至上の出来事」の一つです。私が彼に言ったのは「貴方が私に頼んでいることはできないけれど、
BBC録音はどうかしら。BBCアーカイブにかけあえば」。彼は「素晴らしいアイデアだ。リマスターして出しましょう」。そしてこの旅が始まったのです。
とても素晴らしい、素晴らしいことが続いています。
N. F. :
多くの人々が「なぜもっと早くできなかったのか」と私に訊いてきました。答えられません。わからないのです。私は教師としての自分の新しい人生にかかりき
りでした。もっと前になされるべきでした。
M. C. :
我々の読者達の多くはアーティストについて詳しく、演奏を聴いたり観たりします。教師達はよく演奏家の経歴に言及されますね。一つ私がよく知らないこと
なんですが、すでに素晴らしいピアニストにどのように教えるのかと。もちろん、とても若年の才能溢れる子供もいるのですが、私が訊きたいのはキャリアを重
ねた人々についてです。彼らにとって教えられることの意味とはなんですか?
N. F. :
私が思うのは...そうね、皆が探り求めるのです。全てのクリエーターは探り求めることをやめないのです。私はいつも言うのですが、そして私だけではないので
すが、探り求めるのをやめた日が終わりの日なのです。皆、アイデア、議論......霊感を探しているのです。私自身が重視しているのは響きの探求です。
私のと
ころにくる人々の沢山の人々、その大多数は大変成功しており、音楽的に大変輝かしく、素晴らしい音楽的アイデアに満ち溢れているのですが、響きそのものに
関しては多くが取り組んでいるとは言えないと思います。私が若い頃、人々がよく「演奏できないなら教えなさい」と言っていたのを思い出します。しかし、私
は
これには全く同意できません。というのも、私が思うに、自分がどのように響きを作り出すか、何を探しているかを私自身が気付いていなければ、私が
響きについて語ることはできないと思っています......私は色彩感についても語りますが、この要素は私自身にも深い意味をもっていて、それは私自身が実際に気をつけてき
たことだからなのです。だからこそ、アイデアを互いにやりとりすることができるのです。それから他の多くのことがあります。特有のタイプのピアニズ
ム..........それが
さらに多くの事へと導いてくれます。いいですか、多くの人々は成功したピアニストというだけではなく、大変知的で、既に素晴らしい考えをもっています。考
えをやりとりし、新しい考えを異なるやり方で発見するのです。
M. C. :
録音について少し話しましょう。BBCが保持している録音のカタログはありますか?明らかに貴女は録音のいくつかをもっておられるようですが.....。
N. F. :
沢山録音をしたのですが、いかなる理由かよくわからないのですが......悲しい事にBBCは一部しか保存していません。例えば、協奏曲録音や、私のBBCプロ
ムスや数十のコンサートホールでのライブやスタジオ録音、全部ありません。
M. C. : なるほど
N. F. :
いくつかの室内楽曲録音があり、大変興奮することにまだリリースの可能性があります。考えると恐ろしいのですが、もし我々がこれらの録音に目を向けな
かったら、それらも他と同じように消えていたかと思うと......。沢山の、言ってもよければ素晴らしい録音の数々が......心が張り裂けそうで
す。
N. F. :
かわいそうな人よ!(笑)。当時を思い起こすと、演奏する度に、そのあと私は自分を撃ち殺してすぐ近くの橋から投身自殺したくなって......。という
のも、常に全然
満足できなかったので。苦痛でした。でもスティーブン・プレイストウ、特に彼はとても紳士的で優しくて。
M. C. : 愛すべき人でしたね。
N. F. :
愛すべき人でした。彼にはとても難しかったと思いますよ。私はなにをしても満足できなかったのです。でも今、どれだけ私が自分の演奏を聴くのが楽しい
ことか言葉にして言えないほどなのです。もう全く、私自身ではないようなのです。
M. C. : 客観的になったのですね。
N. F. :
完全に客観的に聴けるのです。楽しんで聴けます。もちろん2、3、少しは言いたくなることはありますが、全体的には......そう、それらを聴いて素晴
らしい時を
過ごしています。とても興味深いことです。私がこの事が今起きている、ということに感謝しているのも、私の演奏についての私自身の認識を完全に変えてくれ
たから
です。
M. C. :
アーティストが若い頃の演奏をどのように受け止めるかが変化し、進化する.....貴女はご自身のことを考えるととても面白いと思いませんか?当時のご自
身が一
人の人間としてどうであったかについての知見をえられませんか?
N. F. :
はい。とても面白いことですが、私たちは大英図書館に行ってBBCアーカイブを聴いたことがあります。いくつか録音がありました。たとえば「死の舞踏」で
すが、私は全く忘れていました。それはリスト・プログラムの一部だったのですが、演奏したことを完全に忘れていたのです。それからサン・サーンスのピア
ノ五重奏曲、これも全く忘れていました(注5)。でも演奏が始まった時、私は感じたのです。すぐに自分の演奏だと。体が繋がっているのを感じたのです。
(演奏:死の舞踏)
M. C. :
どのように録音を収集して曲目を決めていったのですか?例えば第2集はリスト、シューマン、ドビュッシー、アンドレ・チャイコフス
キー.............なぜこれらを組み
合わせたのでしょうか?素晴らしい組み合わせだと思いますが。
N. F. :
いい質問ね。Tomo、ソネットの責任者ですが、彼の考えが沢山入っているのと、それから私の旧友のブライス・モリソン..........覚えているの
は、私が最初にク
イーン・エリザベス・ホールでシューマンのソナタを弾いた時に聴いた後、彼が私のところにやってきて、「ノーマ、いったいあの第2楽章はどこからやってき
たん
だい?」。彼は本当にそれを本当に気に入っていたのです。あの曲を入れたのは彼の考えだと思います。でも組み合わせについては.........どうやっ
て言えばいい
か。でもリスト・ディスクを作りたいということはわかっていました。というのも、リストは私の人生で大きな場所を占めていて、私自身、一度はリスト・ピア
ニストと呼ばれたこともありました。私としてはこのレッテルについては憤然としていました。というのも、私はドイツロマン派を愛していて、何よりもまず、
リストを演奏
する時の私は私でなかったものですから。面白いことに、私の最初のプロムスはリストの第2協奏曲ではありましたが。