Sonetto Classics Top

ノー マ・フィッシャー:音楽における人生
英グラモフォン誌・ポッドキャスト・インタビュー (11.27.2019)

https://www.gramophone.co.uk/podcast/norma-fisher-a-life-in-music


M. C. : マーティン・カリングフォード(英グラモフォン誌編集長)
N. F. : ノーマ・フィッシャー

略歴:ノーマ・フィッシャーは1940年にロシア人とポーランド 人の両親のもとにロンドンで生まれた。シドニ ー・ハリソン、イローナ・カボシュ、ジャック・フェヴリエらに学び、1961年のフェルッチョ・ブゾーニ国際コンク ールで第2位となった後、1963年のハリエット・コーエ ン国際音楽賞のピアノ賞をウラディミール・アシュケ ナージと共同受賞した。その後何年にも渡ってフィッ シャーは世界の主要ホールやBBCプロムスをはじめとする音楽祭に来演し、ジャクリーヌ・ デュ・プレ、マルコム・サージェント、ノーマン・デル・ マー、コリン・デイヴィス、コンスタンティン・シルヴェ ストリ、アナトール・フィストラーリ、スティーヴン・イッ サーリスといった音楽家達と共演を重ねた。 ラドゥ・ルプーと共に、作曲家でピアニストのアンドレ・チャイコフスキの擁護者となり、「インヴェンショ ン集作品2」の最も完全な形での初演を行った。1980年代より右手に不調を感じ始め、1990年に局所性ジストニア(フォーカル・ジストニア)と診断された。その後はステージ から完全に身を引いて教育活動に転じている。現在、フィッシャーはロンドン王立音楽大学教授、ロンドンマスタークラス総裁として、マレイ・マ クラクラン、エドゥアルド・クンツ、パヴェル・コレスニコ フ、アンナ・フェドロヴァ、レイナー・ハーシュを含む数千人の若い才能を育て続けている。2018年よりフィッシャーのジストニア発症前の録音がSonetto Classicsより発売され、リスト協会グランプリを受賞するなど、国際的に高い評価を受けている。




M. C. : こんにちは。最新のグラモフォン・ポッドキャストにようこそ。私は編集長のマーティン・カリングフォードです。嬉しいことに、今日はピアニストで教師のノー マ・フィッシャーとご一緒しています。

N. F. : どうもありがとう。

M. C. : 少しバックグランドの説明をしましょうか。昨年の7月、グラモフォンはソネット・クラシックス・レーベルから出たノーマ・フィッシャーによるブラームスとスクリャービン作品の素晴らしい録音に読者の注意を向けました。その後、グラモフォン評者のミッシェル・アッセイが、年間クリティクス・チョイスでこのアルバムを自身のフェイヴァリット・ア ルバムに選びました。アルバムは新リリースですが、1970年代にBBCが録音したものです。そして今回、リスト、シューマン、ドビュッシー、アンドレ・チャイコフスキーを収めた第2集が出たのです。私は批評家達が熱狂すると確信していますが(注1)、さて....アルバムについて話す前に、貴女自身に関するお話と、この録音が世に出るまでなぜこれほど長くかかったかを説明していただ けませんか?

N. F. : 長い話です...悲しいことなのですが、80年代に、恐ろしい事に私の右手に問題があることに気づいたのです。何が起きたのかわかりませんでし た。誰も私を助けることができませんでした。なんとかしようとして医者にも行きました。誰も何が起きているかわかりませんでした。実のところ、私は演奏が でき なくなっていたのです。痛みはないのですが、演奏をしようとする瞬間に手が固まってしまうのです。てっきり頭がおかしくなったかと本当に思いました。理解不能でした。というのも、それまで一人で弾いていても何も問題がなかったからです。技術的に全く、です。それが突 然.........。たしかカリフォルニアに滞在した時だと思うのですが、ピアノ雑誌の編集者で出版者のロバート・シルヴァーマンという人物に会う機会がありました。我々はその後親友となり......私は彼の雑誌が大好き で......イングランドの私の家まで何冊も雑誌を送ってきてくれて、そのうちの何冊かを通読しました。その時に「Teaching hands, treating hands」という記事に出会ったのです。それを読むと、まさに私の事でした。

M. C. : なるほど。

N. F. : そこには私が抱えている問題が細部に至るまで書いてありました。私は咽び泣きました。信じられませんでした。記事はフランク・ウィルソン(注2)によって書かれ ていました。 彼は神経科医で、この問題に興味を持っていました。私はアメリカにいるボブ・シルヴァーマンに電話し、「フランク・ウィルソンって誰なの?彼について知らなけれ ばいけないの」。それまで、私は私に起こった問題を彼に話していませんでした。実際、誰にも一切話したことがありませんでした。何というか.......私のその時の感情を説明するのはとても 難しいのですが.......もし誰かにこれを話したら.....というのも私はまだ演奏していて、私はまだコンサートをこなす必要があったので........もし全てが 変わった時に、話す事で私の人生も変わってしまうのではないか、と恐れたのです。

とにかく、私は彼には何も言いませんでした。フランク・ウィルソンは誰か、ということを知りたい、とだけ伝えたのです。彼は「君はラッキーだ。という のも彼は今ヨーロッパにいる筈だから。彼は今ハノーヴァーのクリニックで働いている」と言いました。彼はウィルソンにすぐ連絡を取ると言ってくれました。翌日すぐ、私は彼 に会うため にハノーヴァーへと飛びました。で、ウィルソンが(局所性ジストニアの診断を)確定しました。フライシャー、グラフマン、バイロン・ジャニス、グレン・グールド、ホロ ヴィッツらに起きたのと同じ問題です。

彼はアメリカのドロシー・タウブマン(注3).......当時非常によく知られていた教師ですが.........彼女のもとに私を送る、と言いました。「彼女が君と一緒に取りくむだろうよ。 手 がまた動くようになるよう君に教えてくれるさ」と。私は死体のようになりながら彼にいいました。「あなた、人生のこの段階になって、私が誰か他の人間から演奏法 を教えてもらうとでも本当に思ってるの?自分で取り組むわ。自分で何が起きているか見つけて闘い、見究めないと」。そして、私はとても長い間、いろいろな代替 療法を試しました。ですが何をしても同じ。というのも、以前は、私は全く.......おそらくそれが問題の一部かもしれないのですが........全く自分がやっていることについて 何も考える必要がなかったのです。

M. C. : なるほど。そういったものは自然に....

N. F. : 全くそうです。演奏について考えることとともに、不確実性もでてきました。つまり私がいつもコントロールできたものが突然(手を叩く)......青天の 霹 靂のように何かが起こり、ただ反応しなくなってしまったのです。

M. C. : 演奏中に起きたのですか?

N. F. :もちろん。

M. C. : どのようにあなたはーどのように......いったい弾き続けることができたのですか?

N. F. :(弾く事は)ノーでした。本当に恐ろしくなってしまったのです。というのも予測不能でしたから。完全に予測不能でした。

私にはもう選択が残されていませんでした。ただ静かにし、誰にもこの事を話しませんでした。何のアナウンスもしませんでした。私はそっと身を退いたのです。とい うの も私はすでにピアノをかなり教えていました。教育活動が大好きでした。で、そっと演奏家から教師へと移行したのです。私は既に素晴らしい生徒達に恵ま れていました。なんとかして、私は彼らに自分が弾くかのように教え、その果実を楽しんだのです。

実際に起きたことは、これらの録音がまさに正しい瞬間に登場した、ということです。というのも、私は自分に何が起きたかを皆に知らせる時だと思っていたの で す。事実、私の人生にソネット・クラシックスが登場したのは完全に晴天の霹靂で、素晴らしいことでした。私の生徒の一人がある日、是非会いたいと言っ ている日本人の友人がいる、と言ってきたのです。彼はこの家で行われている演奏会にやってきて、私の手を握り、なんのためらいもなく、「私はソネット・ク ラシックスを持っています。貴女と録音を作りたい。貴女の仕事を賞賛しています」と言いました。私は完全に圧倒されて、ショックを受け、同時に信じられな いくらい感 動しました。というのも、私は生徒達に何度も自分で生徒のために演奏して聴かせる事があって、生徒達は「なんてこと。ノーマ、感じますよ........ 貴女は弾かない と いけません。まだ十分出来ますよ!」..............だから私は教えることが好きなのですよ。自分のやりたいように自身を表現できますから...........。実際、彼がレコードを作ろう と言ってきた時、間髪 を入れず、「私、ずっと待っていたのよ!」と言いたくなりました。でも私自身の常識的な判断でためらいつつ、「とても興奮しているし、感動しているけれど、答え は......."できない"......」。私の 局所性ジス トニアについては話しませんでした。私が言ったのは「教えることにとても忙しいから。私の生徒達は私が必要。もし私が教えることをやめたら..........もし演奏を 再開したら、私は教えるのをやめないといけない。というのは私は一つのことにしか集中できないから」。ですがその瞬間、私が考えなかったことがあります。 真実は「私には無理」ということでした。(注4)

M. C. : 興味深いです。

N. F. : でも彼は「心配ない。ゆっくりやりましょう。貴女がやりたい時に。1楽章に1年でもいい」。そんなに長く生きるつもりないわよ!(笑)彼は「じっく り考えて。アイデアを熟成させて。貴女がどう感じるか見ましょう」って。で、私はそうすることにました。で、もちろん.......肉体的な問題がありま した。私 自身........とてもその考えに惹かれていて.......彼は全く諦めないのですよ!

M. C. : そうですか(笑)

N. F. : 何度言ってきたか言えないほどよ!私は惹かれているのですが.......どうなるでしょうね。未来のことはわからないわ。それについて私に考える時間が まだあれ ば、と思います。わかりません。シューベルトの後期作品は大好きなのです。リストは無理です。実際、私のリストの録音とチャイコフスキーの録音にある機敏さと アーティキュレーション........それはもう失われています。もちろん、別の要素はありますよ。どうなるかしらね!でも、ソネットが私の人生にやっ てきた こと、誰 が彼らを私のもとに送り込んできたのかわかりませんが、「至上の出来事」の一つです。私が彼に言ったのは「貴方が私に頼んでいることはできないけれど、 BBC録音はどうかしら。BBCアーカイブにかけあえば」。彼は「素晴らしいアイデアだ。リマスターして出しましょう」。そしてこの旅が始まったのです。 とても素晴らしい、素晴らしいことが続いています。

N. F. : 多くの人々が「なぜもっと早くできなかったのか」と私に訊いてきました。答えられません。わからないのです。私は教師としての自分の新しい人生にかかりき りでした。もっと前になされるべきでした。

M. C. : 貴女の教師としての新しい人生は満足できるものになったのは明らかです。

N. F. : 全くそうですね。

M. C. : そして貴女は素晴らしいピアニスト達と仕事をしてきました。

N.F.: 本当、本当にね。私は恵まれてました。本当に恵まれています。教えることの全ての瞬間を愛しています。大学では大きなクラスで、プライベートではたくさんの生徒達を 抱えていま す。私は歩みをとめないのです。でも私は(自分が演奏家の時も)そうやってきました。ピアニストでない瞬間は一日で無かったのです。そう........ 優れた才 能と彼 らの道を助けることは大きな特権です。

M. C. : 我々の読者達の多くはアーティストについて詳しく、演奏を聴いたり観たりします。教師達はよく演奏家の経歴に言及されますね。一つ私がよく知らないこと なんですが、すでに素晴らしいピアニストにどのように教えるのかと。もちろん、とても若年の才能溢れる子供もいるのですが、私が訊きたいのはキャリアを重 ねた人々についてです。彼らにとって教えられることの意味とはなんですか?

N. F. : 私が思うのは...そうね、皆が探り求めるのです。全てのクリエーターは探り求めることをやめないのです。私はいつも言うのですが、そして私だけではないので すが、探り求めるのをやめた日が終わりの日なのです。皆、アイデア、議論......霊感を探しているのです。私自身が重視しているのは響きの探求です。 私のと ころにくる人々の沢山の人々、その大多数は大変成功しており、音楽的に大変輝かしく、素晴らしい音楽的アイデアに満ち溢れているのですが、響きそのものに 関しては多くが取り組んでいるとは言えないと思います。私が若い頃、人々がよく「演奏できないなら教えなさい」と言っていたのを思い出します。しかし、私 は これには全く同意できません。というのも、私が思うに、自分がどのように響きを作り出すか、何を探しているかを私自身が気付いていなければ、私が 響きについて語ることはできないと思っています......私は色彩感についても語りますが、この要素は私自身にも深い意味をもっていて、それは私自身が実際に気をつけてき たことだからなのです。だからこそ、アイデアを互いにやりとりすることができるのです。それから他の多くのことがあります。特有のタイプのピアニズ ム..........それが さらに多くの事へと導いてくれます。いいですか、多くの人々は成功したピアニストというだけではなく、大変知的で、既に素晴らしい考えをもっています。考 えをやりとりし、新しい考えを異なるやり方で発見するのです。

M. C. : 録音について少し話しましょう。BBCが保持している録音のカタログはありますか?明らかに貴女は録音のいくつかをもっておられるようですが.....。

N. F. : 沢山録音をしたのですが、いかなる理由かよくわからないのですが......悲しい事にBBCは一部しか保存していません。例えば、協奏曲録音や、私のBBCプロ ムスや数十のコンサートホールでのライブやスタジオ録音、全部ありません。

M. C. : なるほど

N. F. : いくつかの室内楽曲録音があり、大変興奮することにまだリリースの可能性があります。考えると恐ろしいのですが、もし我々がこれらの録音に目を向けな かったら、それらも他と同じように消えていたかと思うと......。沢山の、言ってもよければ素晴らしい録音の数々が......心が張り裂けそうで す。

とても興味深いのですが、私がそれらの録音を(最近ずっとやっているように)聴くと、まるで別の人生を歩んでいるかのようになるのです。他人の演奏を聴いて いるかのようです し、まるで自分のことではないかのように、それについて話すこともできます。普通なら私にはできないことなのです。若い頃は、自分の録音については絶対に語 ることなど不可能だったことを思い出します。というのも、私自身の演奏を憎んでいたからです。私には大好きなBBCプロデューサー......私の好きな 多くのプロデューサー達の一人ですが、スティーブン・プレイストウ........

M. C. : ああわかります!

N. F. : かわいそうな人よ!(笑)。当時を思い起こすと、演奏する度に、そのあと私は自分を撃ち殺してすぐ近くの橋から投身自殺したくなって......。という のも、常に全然 満足できなかったので。苦痛でした。でもスティーブン・プレイストウ、特に彼はとても紳士的で優しくて。

M. C. : 愛すべき人でしたね。

N. F. : 愛すべき人でした。彼にはとても難しかったと思いますよ。私はなにをしても満足できなかったのです。でも今、どれだけ私が自分の演奏を聴くのが楽しい ことか言葉にして言えないほどなのです。もう全く、私自身ではないようなのです。

M. C. : 客観的になったのですね。

N. F. : 完全に客観的に聴けるのです。楽しんで聴けます。もちろん2、3、少しは言いたくなることはありますが、全体的には......そう、それらを聴いて素晴 らしい時を 過ごしています。とても興味深いことです。私がこの事が今起きている、ということに感謝しているのも、私の演奏についての私自身の認識を完全に変えてくれ たから です。

M. C. : アーティストが若い頃の演奏をどのように受け止めるかが変化し、進化する.....貴女はご自身のことを考えるととても面白いと思いませんか?当時のご自 身が一 人の人間としてどうであったかについての知見をえられませんか?

N. F. : はい。とても面白いことですが、私たちは大英図書館に行ってBBCアーカイブを聴いたことがあります。いくつか録音がありました。たとえば「死の舞踏」で すが、私は全く忘れていました。それはリスト・プログラムの一部だったのですが、演奏したことを完全に忘れていたのです。それからサン・サーンスのピア ノ五重奏曲、これも全く忘れていました(注5)。でも演奏が始まった時、私は感じたのです。すぐに自分の演奏だと。体が繋がっているのを感じたのです。

(演奏:死の舞踏)

M. C. : どのように録音を収集して曲目を決めていったのですか?例えば第2集はリスト、シューマン、ドビュッシー、アンドレ・チャイコフス キー.............なぜこれらを組み 合わせたのでしょうか?素晴らしい組み合わせだと思いますが。

N. F. : いい質問ね。Tomo、ソネットの責任者ですが、彼の考えが沢山入っているのと、それから私の旧友のブライス・モリソン..........覚えているの は、私が最初にク イーン・エリザベス・ホールでシューマンのソナタを弾いた時に聴いた後、彼が私のところにやってきて、「ノーマ、いったいあの第2楽章はどこからやってき たん だい?」。彼は本当にそれを本当に気に入っていたのです。あの曲を入れたのは彼の考えだと思います。でも組み合わせについては.........どうやっ て言えばいい か。でもリスト・ディスクを作りたいということはわかっていました。というのも、リストは私の人生で大きな場所を占めていて、私自身、一度はリスト・ピア ニストと呼ばれたこともありました。私としてはこのレッテルについては憤然としていました。というのも、私はドイツロマン派を愛していて、何よりもまず、 リストを演奏 する時の私は私でなかったものですから。面白いことに、私の最初のプロムスはリストの第2協奏曲ではありましたが。

でもリストは私のとても人生では大きなものでした。ことによったら、それがあのこと(局所性ジストニア)の原因になったのかと…

M. C. : 技術面での名人芸が............

N. F. : ことによったらね。私は全く注意深くなかったのです。考えませんでした。表現は相応しい方法でなされなければならなかったですし。考えずにやりすぎたのか も.........。でも誰がわかるでしょうか。誰もジストニアのことは説明できません。誰も理解していません。というのも、肉体的なものではなく、非 常に 神経学的なもの で...........。で、リスト・ディスクは必然でした。それから他は.........Tomoがアンドレ・チャイコフスキーを欲しました。それ については私も同じ考えで、 「インヴェンション 集」は大好きでした。

M. C. : ポートレート集ですね?

N. F.:  そうです。文字通りね。楽曲の二番目はフー・ツォンで、ザミラ・メニューインと結婚した時に言い合いをしたのを正確に表現しています。魅力的なステファ ン・アスケナーゼ。愉快な人でした。タマシュ・ヴァーシャーリ、ハンマー・クラヴィーアの導入部の複雑さ。それがタマシュでした。それからイローナ・カボ シュ。実際、リズムを聴くと最後まで「イローナ・カボシュ、イローナ・カボシュ、イローナ・カボシュ」(笑)。それからピーター・フォイヒトヴァンガー、 最初の曲ですが、彼も私の良い友達でした。ゆったりしていて非常に幸せで。いつも。楽想が捉えています。

M. C. : 彼らを皆知っていることが貴女の演奏のやり方に知見を与えているのですか.........。

N. F. : 全くそうですね。

M. C. : 驚くべきことです。

N. F. : それからもちろん、マイケル・リドル、アンドレの精神分析医で、この曲にとりかかるのは楽しかったです。というのも、この人物がいかに 必死にーー 深い思念が筆致に現れていてーー必死にアンドレを助けようとしていたのが感じられますので。

M. C. : アンドレはそれを描いていると。

N. F. : 全くその通りです。

M. C. : さらに続編があるのですか?

N. F. : 私はそう願っています。私はカセットテープを多く持っているのですが、状態が良くないのです。現在までにTomoが信じられないような仕事をしてくれてい て......。それからもちろん、あのスクリャービン第5ソナタがあります。第1集のアルバムは第1番ソ ナタとOp 42の練習曲を含んでいるのですが、元は第5ソナタもその重要なBBCシリーズのリサイタルの一部でした。よくわからない理由で第1ソナタとOp42エ チュードが残っていたのですが、第5ソナタの録音が無いのです。私は第5ソナタのテープを持っていて、何年も前に友人とテープを聴いたのですが、演奏 はーこういってよければー素晴らしかったのですが、最後のページが欠落していたのです。信じられませんでした。テープをアビーロード・スタジオに持っ て行って彼らにチェックしてもらったのですが、やはり悲しいことに(その箇所が)消えていました。なぜ、なにが起きたかわかりません。それ以来、私たちは 世界中を訊き回って......誰かがどこかでそのシリーズの録音を持っているに違いないのです。というのも、偉大なピアニストたちがそのシリーズに参加していた ので(注6)、誰かが持っているはずなのです。というわけで、私たちはまだ探しています。私はTomoに、「もし最後のページが欠落していたとしても、そ れを説明 すれば」と言っています。というのも、演奏そのものは聴かれるべきなので。でも彼は待ちたいようです。どこかで誰かが完全なテープを持っているのでは、 と。



M. C. : 最後の評に「もしこのポッドキャストを聴いた人は我々を助けられます。グラモフォンに連絡を」って言えばいいですね。(笑)

N. F. : (笑)そうね。

M. C. : 見つかるといいですね。貴女自身と録音について話してくれてありがとうございます。第3集と目的を達成することを楽しみにしています。

N. F. : 夢がかなったと言わねばなりません。こんなことが起こるなど想像していませんでした。このようなことになるとは。私はとても幸せです。というのは、私の中の特 別な時代を取り戻せたので。

M. C. : ノーマ・フィッシャー、どうもありがとうございました。あなたのBBC録音第2集はソネット・クラシックス・レーベルから入手
できま す。

(翻訳はグラモフォンの許可の元に作成されています)



訳注
注1: その後、第2集は第1集同様に英グラモフォンのエディターズ・チョイス、年間のクリティクス・チョイスに選ばれた。さらに米Classics Todayの芸術評点満点を得るなど、各国のメディアから高い評価を得た後、2020年9月、フランツ・リスト協会(ブダペスト)選定の第41代国際グラン・ プリ・ディスクとなった。

注2: Frank R. Wilson。世界的に著名な神経科医で、グレン・グールドが局所性ジストニアである可能性を示唆した2000年の論文でも知られている。

注3: Dorothy Taubman。アメリカの教師でピアノ演奏に派生する障害の治療で知られた。

注4: 当時の会話や状況に関する彼女の記憶は正確なもの。ただし、心の中の声はともかく、彼女が口に出して「できない」とは言ったことは一度もない。 「Never say never=できないとは言わない」がその時発せられた言葉で、この表現はその後もこの話題が出る度に使われた。

注5: デルメ四重奏団との演奏。

注6 BBCがスクリャービン生誕100周年を記念した全6回の放送番組「Scriabin's piano music」で、1972年にノーマやオグドンらがスタジオに招かれ、リサイタル形式での放送録音収録が行われた。ソナタ全曲に加え、小品が弾かれた。ソ ナタについては以下のように割り振られた。

Sonata No. 1: Norma Fisher
Sonata No. 2: David Wilde
Sonata No. 3: Malcolm Binns
Sonata No. 4: Valerie Tryon
Sonata No. 5: Norma Fisher
Sonata No. 6: John Ogdon
Sonata No. 7: David Wilde
Sonata No. 8: Janos Solyom
Sonata No. 9: John Ogdon
Sonata No. 10: Valerie Tryon